運送事業、バス・観光タクシー・旅行事業、イベント事業、 人材サービス事業など
Q. 会社について
A. わが社は1977年に倉吉市で創業し、現在48年目の会社です。創業時はトラックを使った貨物の運送事業が中心で、今でも事業の半分は貨物の輸送業が占めてます。
その後、貸し切りバス・タクシーの運行、イベントの会場設営・運営、物流センター、人材紹介、求人メディアの運営などを少しずつ付け足していき、現在は地域密着サービス業を自分たちの事業ドメインと位置づけています。
営業エリアは鳥取県と島根県の一部とし、5か所の営業所で運営をしています。
Q. 自己紹介
A. 1973年生まれで倉吉生まれの倉吉育ちです。
大学時代と一番最初の就職先だけ東京に出ていましたが、学生時代からこちらに帰ってきたいなと思っていました。父親が創業したこの会社もあったものですから、元々倉吉に帰ってきてこの事業と会社を引き継いでいくという思いは昔からあり、現在我が社の社長になって18年目にはいっているところです。
倉吉市の良さに気づいたというよりも、都会が苦手だったという方が強いかもしれません。この18年間で一気にいろんな事業環境が変わってきて、都会にいても田舎にいても、できることは大差がなくなってきているというのはすごく感じます。そういう意味では自分が生まれ育った好きなこのエリアで、仕事ができるというのが一番幸せだなと思っています。我が社の社員たちもほとんどがそんな感じでこのエリアを選んで、会社に入って定着してるというようなメンバーが多いと思います。
Q. 倉吉市へ戻ってきた理由
A. 田舎育ちだったので都会に出たいという思いが強くあり、憧れもあって出たんですけれど、出たら出たでそれはそれで満足してしまったところもあって。
今後自分の暮らしていく、人生を生きていくという舞台として、都市部は多分自分に合わないなというのがすごくあったので、わりと早い段階で田舎に帰ってくるというイメージでいました。
Q. 倉吉市へ戻ってから行った取組み
A. もともと父親が創業した事業だったので、そこをベースにするという意味ではすごく有利でした。とはいえ、やはり田舎において、地域の中の限られた方々を顧客層としてビジネスを展開していくというのは、ビジネスボリュームとしてはすごく小さいので非常に難しいところがありました。
社員のためにもきちんと成長していかなきゃならないという中で、提供サービスが増えていき、増えれば増えるほどオペレーションは難しくなるということの繰り返しですね。
倉吉市が2025年にオープンされる予定の関金温泉のホテル※を、我々が指定管理という立場で今後10年間運営をさせていただくことになってます。出張型のサービスを生業にしてきた会社なのですが、施設を使ってのサービスというのは、物流センターを除けばやったことがないサービスになります。我が社にとってかなり新しい挑戦と位置づけて、今準備をしているところです。
※HOTEL星取テラスせきがね(https://catch-the-star.com/)
Q. 倉吉市関金地区でビジネスを始めたきっかけと魅力
A. 関金地区の方々を中心に、そこのエリアが好きという方々がすごく多いのがまず一点。それに、我々も地域に外貨をもたらすビジネスモデルというのにすごく興味があったというのもあります。この地域の方々と連携しながらだったら、ここの魅力を外に伝えていくという面白い事業ができるんじゃないかという可能性をすごく感じています。
脈々と開発や維持をしてこられた方々がいらっしゃるので、その皆さんとさらに魅力的なものを深堀していくというのが我々の大きな仕事になるのかなと思いますし、その中心になる宿泊地やお食事処という場所を提供できるというのはすごくやりがいがあることだなと思っています。
Q. 倉吉市の魅力
A. 我が社は地元出身者がもちろん多いのですが、意外と移住者も多くてですね。彼らに共通しているのが、「人がいい」というのをよく言っていますね。あまり意識はしていないのですが、協力し合えるネットワーク力、人の良さっていうのはすごくあるみたいですね。
僕自身も倉吉で代々商売をやってる家に育ってるので、なんとなく周りと情報交換をし合って、お互いのビジネスを中心とした軸で連携をしていくという環境は、多分大昔から土壌としてあったのかなというのは思います。
Q. 打吹まつりなどイベント設営と運営
A. 実は事業の1/4ほど売上を占めているのが、イベント関連の仕事です。 主催者からご依頼をいただき会場設営などのお仕事をしています。
すごく暑い時期にも現場を支えてくれている社員たちはイベントのお祭り騒ぎどころではなく大変なのですが、地域の方が楽しみにしておられるイベントに関わることにはみんなすごくやりがいを感じています。我々の生業としても、すごくやりがいのあるビジネスモデルになってます。
僕もあのエリアで育っているので、小さな頃から夏の風物詩として定着はしていますが、人口規模とともにボリュームは小さくなっているはずです。その小さくなっている中でも活気は失われてないというのは、運営に携わっておられる皆様、企画をして参加をしてくださる皆様のおかげだなと思っています。
Q. 倉吉市に来て欲しい企業
A. 企業として、市民として、長くこのエリアと関わっていこうという企業であると、個人的には嬉しいなと思います。我々地元でやっている企業たちと興味を示して入ってきてくださる方々とコラボレーションできるようなこと、連携できるようなことがあると一番嬉しいなと思います。
なんだかんだ言って、今このちっちゃなまちでちゃんと残ってる、例えば飲食店とかってそれなりのレベルを保っておられるという具合に僕は思っています。そういうところでランチでも飲み会でもいいので、一緒にする機会があればあるほどコラボレーションするネタも生まれてくるんじゃないかなと思います。個人的にはそんな繋がりがあったらすごく嬉しいなと思っています。
Q. その他メッセージ
A. 我が社のすぐ隣に巌城工業団地という造成予定の場所があって、そこを今回市から購入をさせていただきました。そこで物流を中心としたビジネスをスタートする予定です。
新しく挑戦をするつもりなので、いろんな方々から知恵や、アイデアを提供していただきながら進めていきたいと思っています。 そのためにいろんな方と連携し、情報交換していきたいです。
「打つ手は無限」という好きな言葉があり、我が社の経営方針書にも自分の理念として載せています。いろんな人に助けを借りて声をかけ、知恵を借りて聞いてみれば、自分の力ではできないことも無限に可能性があるはずだと思えるんです。そうすると、もう手詰まりだと思ってしまう時とは違い、ぐっと可能性が開けてくるので、そんな考え方を常に持つようにしてます。
インタビュー時期「令和6年8月」